松戸市立博物館友の会


 「楽しく学ぼう」をスローガンに、会員相互の交流を深めながら日本と郷土の歴史や文化を学ぶ会です。また、松戸市立博物館が主催する親子体験教室への支援活動を行っています。市民による文化・伝統への意欲ある自主活動です。お互いで学び、支え合っていきましょう。
◎年間を通して盛りだくさんの学習会や見学会、講演会を開催。「まつどまなびぃネット」・会報で募集・結果・各種情報を紹介。
(1)学習部会(古文書部会・みなづき古文書会・松史会・中世東国の講読会・はたくさの会・まつどを知る会)を主宰、参加し楽しく学びます
(2)歴史遺蹟・他の博物館などへの見学会(バス年3回・徒歩5回、会員優先)を主催、参加。
(3)博物館(年3~4回)と友の会(7~8回)等が主催・共催する講演会に参加。
(4)友の会会報(年6回、奇数月A4・12p)発行、近隣館情報(会報付録)発行、会の活動「ネット」(週1回)発信。会員は情報、学習成果の発表、こだわり趣味などを披露できる。
(5)児童の米づくり・昔の道具・生活"体験"教室などの支援活動に参加。
◎年会費 一般(個人)会員3千円、準会員(中学生)500円、家族会員4千円、賛助会員1万円
◎会員数(1/1現在) 216名

見学会サイト   https://sites.google.com/view/tomonokai2024

◎問合せ先  友の会事務局(松戸市立博物館内) 椎野/蒲生
〒270-2252 松戸市千駄堀671
TEL 047-384-8181代表 FAX 047-384-8194


2022年02月19日

講演会報告:「戦国時代/松戸まわりの四方山噺{伝承と史料}」中山文人/学芸員 2/19終わる

 冷えこむ二月の土曜、熱心な中世フアンが集まりました。おなじみ中山文人学芸員による松戸市あたりの中世後半、そう、"鎌倉殿のあと、300年後"、"足利時代末期,戦国時代の松戸・小金(こがね)城時代≒高城(たかぎ)氏"にまつわる講演会でした"。2月19日土曜、午後、博物館講堂。演題「戦国時代/松戸まわりの四方山(よもやま)噺(ばなし)」。抽選いっぱいの30人余が、2時間、かなり専門の中身をさりげなく、教えられたひとときでした。友の会の共催事業。
  3つの資料を紹介されながら、今日のテーマは{伝承と史料}-"ホンモノの史料を見ること、確かめることなく、また、新しい史料に基づくことをしないで、誤りのまま引用されたり孫引きされたりでは困る。いまはネットで誤りが広く拡散され、事実と思われてしまうのは、困る事です!"と強調される。今回は史料3点をもとに、記述内容を読み下しされ、それらの正確さや誤認箇所を逐一、別資料と比較され、解説されていかれました。

  以下、配布史料へのひとこと―
➀『高城下野家記・上巻』(たかぎ・しもつけ(の・が)・かき・じょうかん)―江戸時代の狂歌師・四方赤良(よもの・あから)こと大田南畝(おおた・なんぽ)の収集本で、市立博物館も一冊所蔵。天文11年(1542)、{入間川の合戦で上杉方は大敗北で、3万人以上の戦死者。高城下野守殿は敵の大将を討ち取る功名を遂げ、北条氏康もこれ以降、権力を巨大化}の記述。これは{天文15年(1546)の川越合戦のことらしい}。小田原落城の頃、高城氏が小金(こがね)城を退去して間もない頃に書かれたようだ。本書には"一つとして誠とするところ無し"とまで記載されているとのこと!。『千葉県東葛飾郡誌』の紹介。*大正6,7年ごろの全国の県誌/郡誌/市町村誌の存在について。
②『高城家由来書』(「小金城主高城家之由来」とか「八木原文書」とも云われる)―高城氏が小金城退去後、50年以上あとに書かれた由緒書らしい。内容を精査すると{高城氏は1506年,初めて松戸市内の栗ヶ沢(くりがさわ)を領し、2年後、根木内に一城を構えた。1530年には小金城を築城し移っている}。鎌倉時代から小金は重要な地だったようで、発掘調査もされ中国産陶器も出ており、中世城郭の様子が明らかにされているとのこと。{周辺の東漸寺(とうぜんじ)、万満寺(まんまんじ)の戦時の利用や、大勝院(だいしょういん)、広徳寺(こうとくじ)の由縁}も語る。この由来書は松戸の歴史紹介には功績のあった故・松下邦夫氏著書松戸の歴史案内』(1970年頃発行)にも引用されているが、その後の資料から新しい事実や解釈が出てきている話も。*由来書に出て来る土地名、人物名などが興味や関心を呼ぶことにもなってるそうです。
③『北条家朱印状・天正12年、高城源次郎宛』―1584年、北条氏の重臣が、小金城主へ徳政令のことで損害がでないように通知した文書。1590年には、小田原の北条氏は豊臣秀吉に滅ぼされ、高城氏も小金城も役割を終えます。それまでの150年ほどは争乱、戦国期で、城主も武士も"お金"の出入りには、苦労していたようです。{この朱印状の背景は、高城氏は簗田(やなだ)領に兵糧を貸したが、戻ってこない、相手側は"徳政令がでたので、返さなくていい!"と言っている状況}です。文面には、{簗田領だけに徳政令を出すわけがない!}と,高城氏に返事してます。"徳政令は誰が命令できて、どこまでの範囲に出しているのか?。その当時、合戦に伴う"お金・恩賞・借金"の話でした。関東における北条対反北条の動きは、生き残りへの厳しさ。*『戦国時代の終焉-北条の夢と秀吉の統一』齋藤慎一・2019刊・吉川弘文館の紹介もありました。
(聞き手・松尾・)(N)